YMCA農村青年塾同窓会ブログ

YMCA農村青年塾の同窓会ブログ。年に2回のニュースレター『種まく新人』発行、同窓生同士の農産物(加工品、手作り品等)を通した交流、共働学舎の収穫祭、YMCA東山荘オープンハウスへの出展などの活動をしています。

2010年2月10日水曜日

農村青年塾の歴史(5)最終回

農村青年塾の歴史の最終回です。
時代の中で農村青年塾がどういう役割を果たしたかに思いをめぐらせ、今、私たちが何をするのかを考えていきたいですね。

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戦争による農村疲弊と荒廃、そして「天皇制に基づく明治地主体制」を衣替えした、新たな「国家地主体制」による農村・農業への収奪。このような状況下で、もはや農業への期待を失い離農へと傾いていく農村青年たち。1961年以来の農業基本法農政が「選択的拡大」と称して小規模営農が切り捨てられていく状況の中で、農業をやめるか政府の奨める大規模経営に踏み切るかの岐路で立ち尽くす孤立化した農村青年たち。そのような農村青年に対して樋浦の示す「農業への希望」のメッセージは、どれほどの勇気を彼らに与えたことであろうか。樋浦自身の意識としては、「天皇制に基づく明治地主体制」や戦後の「国家地主体制」の理解は不十分であったかもしれない。それは、彼の著作の中にも抽象的な文言でしか表現されていない。しかし、言葉としてではなく実際として、樋浦の中にそれらのことも暗黙の理解として存在していたと言えよう。
 農村青年塾の運営母体であるYMCAは、当初各地のYMCAの英語学校等の事業収入により比較的その経営も順調であったが、やがてさまざまな形で経営に困難をきたすようになり、各事業は縮小されるようになった。それ以前にも、農村の変貌により各地の農村YMCAが消滅していくことがあり、農村青年塾活動もその影響を受け、やや勢力を落としているように見受けられる。しかし、最近は農民だけではなく、「食」や「環境」等に関心をもつ者や、都市消費者たちの参加も見られ、その幅が広がっている。
 一方、日本の教会はこのYMCA農村青年塾には冷淡である。そして、なんらかの協力もなさないのみならず、関心さえ払おうとしない。それは、農村青年塾がキリスト教色を薄めたからであり、「教化」を全くその目的から外したからでもあり、教会の眼からみればキリスト教の枠を逸脱したキリスト教運動と映ったからである。しかし現実的には、教会の枠、教化の枠を超えたからこそ農村青年塾は広がりを見せ、また継続され得たのである。
 YMCA農村青年塾は、戦後の荒廃した農村に小さなともし火をかかげた運動であり、また農村復興に関わった一つの働きであったことは事実である。(注4)

(注4)この稿の参考資料:日本YMCA同盟『日本農村青年塾30年史』(日本YMCA同盟、1984年)、同『農村青年塾ニュースレター』、同『農村青年塾報告書』各号、同農村青年塾同窓会編『種まく新人』合本(日本YMCA同盟、1990年)、福島伊達教会百年史編集委員会『日本基督教団福島伊達教会六十五年史』(日本基督教団福島伊達教会、1956年)、樋浦誠先生追悼集刊行会『求めよさらば与えられん-樋浦誠先生遺稿・追憶集』(酪農学園同窓会連合会、1992年)、岐阜教会百年史編纂委員会『日本キリスト教会・岐阜教会創立百周年記念史』(日本キリスト教会岐阜教会、1995年、小山源吾他編『高原の記録-松田智雄と信州』(新教出版社、1996年)