YMCA農村青年塾同窓会ブログ

YMCA農村青年塾の同窓会ブログ。年に2回のニュースレター『種まく新人』発行、同窓生同士の農産物(加工品、手作り品等)を通した交流、共働学舎の収穫祭、YMCA東山荘オープンハウスへの出展などの活動をしています。

2010年2月6日土曜日

農村青年塾の歴史(2)

2.農村YMCA運動
日本におけるYMCAの初期の活動は主に学生への伝道というかたちでなされ、東京大学(当時の「東京帝国大学」)を皮切りに、各地の学校にYMCAが結成された。各地の学校にYMCAが結成された。各地の学校にYMCAが結成されるきっかけの多くは、その学校にキリスト者の教師がいたことによる。
福島県の長岡村(現・伊達町)の福島県蚕業学校に遠藤修司(注1)というキリスト者教師がいた。長岡には、早くからキリスト教の伝道がなされ、1891年には教会(現在の福島伊達教会)が設立されている。遠藤はこの流れを汲む長岡教会(長岡日本基督教会)の会員であった。この遠藤のもとで、1928年福島蚕業学校にYMCAが作られたのである。また、これに先立つこと21年、1907年に日本で最初の農村YMCAが「長岡基督教青年会」と称して、長岡基督教青年会館内に設立されている。
長岡という農村にある蚕業学校にYMCAが誕生したことを受けて、日本YMCA同盟では農村におけるYMCA活動を活発に行うことを事業計画の中に組み入れ、冬季に農村青年を対象にした「冬季学校」を長岡に開校することとした(注2)。第1回の長岡YMCA冬季学校は1931年の12月1日から翌年の3月21日まで行われている。会場は長岡教会である。この冬季学校の開校も遠藤に負うところが多い。
また一方で、静岡県伊豆の久連村(現・沼津市久連)に、札幌農学校の第一期生渡瀬寅次郎の遺志で、農民復員学校のモデルにもなったデンマークの国民高等学校の農民教育の実践を目指した「久連国民高等学校」が建てられた。これには内村鑑三や新渡戸稲造も共鳴し、さらに日本YMCA同盟の総主事齊藤惣一も協力した。そのような経緯から、久連国民高等学校を会場にして、長岡YMCAという個別の事業ではなく、日本YMCA同盟として、1938年に第一回農村YMCA冬季学校が開催された。その後、長岡の地域冬季学校もYMCA同盟の農村YMCA活動に組み入れられ、久連と長岡を交互に用いるかたちで冬季学校が開かれることとなった。
長岡村のある福島県でも、1930年に農村大恐慌に端を発する小作争議が頻発し、農村の窮状が訴えられていた。そのような農村の状況が、長岡の蚕業学校にYMCAを生まれさせ、また冬季学校を開かせたのであろう。
久連の国民高等学校は、長岡のような背景はなく、どちらかといえば農村青年に知識を与え、農村更正に向かわせる精神を高揚させることが主眼であった。久連国民高等学校は、その後九州大学(当時の九州帝国大学)を辞した大谷英一が渡瀬の遺志を継いで主宰者としての任を勤めていたが、広く農民に知られるものではなかった。
長岡農村YMCAの活動と久連の国民高等学校が、日本YMCA同盟の農村活動の中に組み合わせられ「農村YMCA冬季学校」として1941年まで継続されたが、日本が戦時態勢を迎えるとともにその活動を休止する。
この二つの活動が嚆矢となって、戦後のYMCA日本農村青年塾へと発展するのである。


(注1)遠藤修司(1907-1989) 1925年、福島県蚕業学校教諭。1926年、長岡農村YMCA会長および主事を兼務。1941年、日本YMCA同盟冬季学校校長。1952年、日本YMCA農村事業部委員長。1955年、YMCA日本農村青年塾運営委員長。

(注2)長岡基督教青年会が日本YMCA同盟の傘下に入る以前に、1902年の1月に独自の「長岡冬季学校」がすでに行われている。これとは別に、YMCAの冬季学校が長岡で開かれたのであるが、もちろんこの冬季学校がその嚆矢となっていることは言うまでもない。