YMCA農村青年塾同窓会ブログ

YMCA農村青年塾の同窓会ブログ。年に2回のニュースレター『種まく新人』発行、同窓生同士の農産物(加工品、手作り品等)を通した交流、共働学舎の収穫祭、YMCA東山荘オープンハウスへの出展などの活動をしています。

2010年2月8日月曜日

農村青年塾の歴史(4)

4.「東山荘」にて
 YMCA日本農村青年塾は、その後静岡県御殿場にあるYMCAの施設「東山荘」を固定の会場にして、毎年開催されることになる。この開催は、キリスト教界のみならず、農業新聞等の一般紙においても広く案内され、キリスト教とは無縁であった一般農村青年たちの参加も多くみられるようになった。また、講師の中に前述の人々のほか、農業経済学の大内力、首相をつとめた片山哲、農業協同組合問題の美土路達雄、岩手県農村文化懇談会の石川武雄、玉川農協の山口一門、女性問題の平塚光代、文学者の佐古純一郎、畜産学の西川春雄等、その方面の第一線で働く人々も招かれ、参加する農村青年に高度な学習内容を提供したほか、農業・農村が直面する諸問題が時にかなって取り上げられた。それは、農民福音学校や日本基督教団の農村伝道方策以上に現実的であり、かつ農村・農業・農民を取り巻く状況に深く関わるものであった。農民福音学校や教会(教団)のなす農村活動の根底に「教化」という目的があったことに対して、YMCA日本農村青年塾では「教化」の枠を超えた自由な発想と計画の立案があったからであろう。
 日本YMCA農村青年塾は、その後アジア学院への留学生たちの参加もあり、また韓国農村YMCAからの参加もあり、「日本」という冠称を取り払い「YMCA農村青年塾」と名称を変え、現在も存続している。年に1回の御殿場東山荘での集会の開催のほか、過去の参加者で組織する「YMCA農村青年塾同窓会」が韓国農村YMCAとの交流会やスタディーツアーを計画するほか、同窓会発行の「種まく新人」という冊子やニュースレターを通して同窓生間のネットワークの働きもしている。
 そのほかYMCA農村青年塾には、キリスト教主義女性教育に長い歴史と実績をもつ恵泉女学園が戦後東京都下に開いた園芸生活科から学生が参加しはじめ、そこから農業青年との結婚に至ったり、また女性たちが農業に取り組んでいく事例が見られるようになる。
 農村青年塾の同窓生の分布は全国に広くまたがり、各地で農業を実際に営むほか、農村における政治活動や文化活動、生活改善活動、農村教育活動、協同組合活動に従事している者も少なくない。
 同じキリスト教関係の農村運動「農民福音学校運動」はその中心に、営農方策また農業技術として「立体農業」というものを置いていたことは良く知られることであるが、YMCA農村青年塾には、一つの決まった営農方策があったわけではない。時に立体農業をも紹介し、また時に近代化農業の紹介もあった。その他、複合経営や有機農業の紹介もなされた。農村青年塾への参加者たちは、それらを参考にして自らの営農を考えていったのである。しかし、小作農地の大半が開放された農地改革による「戦後自作農体制」になっても、また1961年以来の「農業基本法農政」の時代を迎えても、いつの時代においても農民は基本的にその労働が充分に報われることがない状況に置かれていたので、農村青年塾においても現政治体制による農政への批判的学習がなされていたのは事実である。また、国家体制や農政に対して従順であったがゆえに相つぐ戦争への協力を強制され、そのことが戦時中と戦後の農村荒廃を招いたこと、さらにはアジア諸国の農村の荒廃にも加担したことを振り返り、農村青年塾では体制や政治、また古い因習や慣習に対して自立し主体性を確保できる農民の育成が考えられていた。そのことは、初代塾長の樋浦の最も期待することであった。
 樋浦は教会人ではあったが、教会で自らが学んだ聖書の思想を農村青年塾の中心に据えつつ、教会の聖書解釈とキリスト教理解の枠を超えて大胆に農村青年に訴えるメッセージを語った。この樋浦の熱心に突き動かされる者は少なくなかった。